ディズニー映画『ノートルダムの鐘』の時代背景は?ノートルダム大聖堂の歴史

歴史
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こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。

この記事ではフランス・パリの人気の観光地ノートルダム大聖堂に行くときに必ず知っておきたい歴史を解説していきます。
ノートルダム大聖堂は2019年の火災により屋根が焼失してしまいましたが、現在復旧工事が行われています。
中を見ることはできませんが、外観を見るだけでも歴史を知っておくと更に楽しめること間違いありません!

また、ノートルダム大聖堂といえばディズニー映画『ノートルダムの鐘』の舞台としても有名です。
この映画の原作がどのような歴史背景で作られたかも解説していきます。

ノートルダム大聖堂はどこにあるの?


ノートルダム大聖堂はご存知の通り、フランスの首都・パリの中でも中心のセーヌ川のなかにあるシテ島という場所に立っています。
パリは見所が近くにたくさん固まって位置しており、それぞれ歩いて行くことが可能です。
ノートルダム大聖堂からも川を渡ったところに有名なルーヴル美術館もあります。

ノートルダム大聖堂って何?

実はノートルダム大聖堂という名前の聖堂ははいくつもあります。
Notre-Dameとは日本語で「私たちの貴婦人」という意味で、イエスキリストのお母さんである聖母マリアのことを指しています。
その聖母マリアを祀った聖堂の多くはノートルダム大聖堂と名付けられるのですが、この記事では中でも有名なパリのノートルダム大聖堂について解説しています。

聖母マリア

ノートルダム大聖堂は「パリのセーヌ河岸」としてエッフェル塔やルーヴル美術館などいくつかの建造物などと合わせて世界遺産に登録されています。
そしてノートルダム大聖堂はパリの中心に流れるセーヌ川に浮かぶシテ島に建てられています。
このシテ島は紀元前からパリの中心とされて儀式などが執り行われてきた由緒ある場所です。現在でもノートルダム大聖堂の前には「ポワン・ゼロ」英語ではゼロポイントと呼ばれる、パリからフランス各地までの距離を測る際の基準点が地面に埋められていますので是非探してみてください。

ゴシック建築

ノートルダム大聖堂

ノートルダム大聖堂を有名としている要因としては、この建物の美しさもあげられますが、実際ゴシック建築の最高傑作とも言われており、どこから見ても完璧な美しさを誇ります。

ゴシック様式とは12世紀からフランスを中心として広まった建築・美術様式で、有名なのものにはノートルダム大聖堂のほかにドイツのケルン大聖堂などがあります。
ゴシック様式の特徴の一つとして、それまでより耐久性が強く建物の高さを高くすることが可能となった点があげられます。
建物の高さを高くすることのメリットとしては、天井が高いため窓を大きくとってステンドグラスで飾れるということがあげられます。
ステンドグラスで壁を飾れることのメリットとしては、教会の壁に聖書の1シーンをステンドグラスで描き、文字が読めない人たちに聖書の内容を伝えることができるという点があげられます。

ケルン大聖堂

ノートルダム大聖堂の歴史

1163年 建設開始

ルイ12世の時代に聖母マリアを祀る聖堂を建設することをパリのモーリス・ド・シュリー司教が決定し、建設が開始されました。
そして1272年に100年以上の時を経てノートルダム大聖堂が完成します。
実際ノートルダム大聖堂は何度も増築などが行われているため、何年を完成とするかということにはいくつか説があります。
最終的にすべての工事が終わったのは1345年とされています。

ノートルダム大聖堂の完成に100年以上の時間がかかったことから、フランス語では長時間待つということを慣用的に「107年も待つ」というそうです。
そして完成後はパリのシンボルとして多くの信者たちが訪れるようになりました。

1789年 フランス革命

しかし1789年のバスティーユ牢獄の襲撃から時代はフランス革命へと移っていきます。
このフランス革命は苦しい生活をしていた市民たちが優雅な暮らしをしている貴族や聖職者たちに反発して起こったものであり、当時はノートルダム大聖堂も権力の象徴とみなされました。
そして略奪や彫刻・ステンドグラスの破壊などを受け、ノートルダム大聖堂は次第に荒廃していきました。

19世紀 復興

その荒廃したノートルダム大聖堂を再建すべきと考えた人物が有名なナポレオンとヴィクトール・ユゴーです。
ナポレオンはフランス革命後にフランスを支配したのち、ノートルダム大聖堂でのミサを再開させ、1804年には歴代の国王と同様に戴冠式をノートルダム大聖堂で開催しました。
ルーブル美術館にある、有名なナポレオンの戴冠式の絵はノートルダム大聖堂で実際に戴冠式が行われた様子が描かれています。

ヴィクトール・ユゴーは1831年にノートルダム大聖堂を舞台とした小説である『ノートルダム・ド・パリ』を書きました。
これはディズニー映画『ノートルダムの鐘』の原作にもなっている、フランスの国民的小説です。
この小説の中でユゴーはノートルダム大聖堂がいかに荒廃しているかということを詳細に書き、パリ市民は大切なノートルダム大聖堂を忘れてしまっていたということに気づかされました。
『ノートルダムの鐘』はこのようにノートルダム大聖堂が廃れ、国民の意識から消えてしまったことを嘆いたヴィクトール・ユゴーによって作られた物語だったのです。

そうしてノートルダム大聖堂は再建が決まり、1844年建築家ヴィオレ・ル・デュックにより実際に再建が始まりました。
2019年4月に焼け落ちたのはこの時再建されたものとなります。

1991年 世界遺産登録

1991年には「パリのセーヌ河岸」として、エッフェル塔やルーヴル美術館、コンコルド広場などとともに世界遺産に登録されました。

2019年 火災

そして2019年4月15日に修復工事の最中に火災が発生し、屋根が消失してしまいました。
しかし、中に保管されていた重要な文化財の多くは消防隊の活躍などにより消失を免れたとされています。
そしてパリオリンピックが開かれる2024年を目標に現在再建が進められています。

まとめ

パリの中心地にあるノートルダム大聖堂は、パリ市民の拠り所として親しまれながらも、一時的には略奪などの憂き目にも合うなど波乱の歴史を歩んできました。
ノートルダム大聖堂に行かれる際には、そのような中を乗り越えてきたことに思いを馳せて見学してみてください。

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