三内丸山遺跡はなぜ世界遺産となったのか。【北海道・北東北の縄文遺跡群】

世界遺産
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こんにちは。やっす(@yassu_blog)です。
2021年に新たに青森県の三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産となりました。
ですが三内丸山遺跡という名前は聞いたことがあっても実際何が有名な遺跡かは知らない人も多いのではないでしょうか。

そこで本記事では以下の点について解説しています。

・北海道・北東北の縄文遺跡群にはどの遺跡が含まれるのか
・三内丸山遺跡はなぜ世界遺産になったのか
・三内丸山遺跡の歴史
また、この記事はYouTube動画でも解説しています。
三内丸山遺跡はなぜ世界遺産になったの?【北海道・北東北の縄文遺跡群】

三内丸山遺跡ってどこにあるの?


三内丸山遺跡は青森県の青森駅から直線距離で4kmほどに位置しています。
三内丸山遺跡ができた当時も海岸線の位置は現在と同程度であり、海岸線と遺跡との間には湿地帯が広がっていたとされています。

北海道・北東北の縄文遺跡群にはどの遺跡が含まれるのか

三内丸山遺跡も含まれる「北海道・北東北の縄文遺跡群」には北海道・青森・岩手・秋田の4県の計17の縄文時代の遺跡が含まれています。

これらの遺跡は集落だけでなく、以下のように祭事場と考えられるものも存在します。

・人々が生活していたことを示す集落跡や貝塚
・祭事や精神的活動が行われていたことを示す環状列石や周提墓

北海道
大船遺跡
垣ノ島遺跡
キウス周堤墓群
北黄金貝塚
入江貝塚
高砂貝塚

青森県
三内丸山遺跡
小牧野遺跡
大森勝山遺跡
是川石器時代遺跡
田古屋野貝塚
亀ヶ岡石器時代遺跡
大平山元遺跡
二ッ森貝塚

岩手県
御所野遺跡

秋田県
大湯環状列石
伊勢堂岳遺跡

三内丸山遺跡はなぜ世界遺産になったの?

では、三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」は何故世界遺産に認定されたのでしょうか。
理由として大きいものは以下の2つです。
・人類史上まれな農耕以前の定住社会と豊かな精神文化が育まれていたことの物証だから
・長期間にわたり継続した採集・漁労・狩猟を基盤とした定住社会の変遷を網羅しているから

通常人間は農耕を行うようになって初めて定住するようになります。
農耕を始める以前は季節やその土地の食料の量に応じて移動しながら生活することが一般的でした。
しかし、縄文遺跡群で生活をしていた人々は農耕を行っていなかったにもかかわらず、集落を作り長期間定住していたと考えられる点が非常に貴重だということです。

三内丸山遺跡においては特に集落内の道路や大型の建物などが計画的に配置されたと考えられていて、人々が長期にわたって定住することを前提に作られていたと考えられます。

また、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として複数の遺跡がまとめて世界遺産に認定されている理由としては、遺跡群それぞれが少しずつ年代が違っており、人々が定住を開始した初期段階から農耕が始まる手前までの変遷を遺跡を通じてみることができるという点にあります。

三内丸山遺跡と北海道・北東北の縄文遺跡群の歴史

それでは三内丸山遺跡を含む北海道・北東北の縄文遺跡群の歴史を解説します。

まず世界遺産の名前に含まれる縄文時代とは15000年前から2400年前のことです。
この時代は旧石器時代から弥生時代の間の時代です。
弥生時代に入ると農耕が一気に広まりますが、この縄文時代はまだ本格的な農耕は行われていませんでした。
多くの国では農耕が始まる以前の狩猟採取を行っている時代は定住をせず、季節に応じて食料が確保しやすい土地を転々と移動しながら生活することが一般的でした。
しかし、この三内丸山遺跡は農耕が始まっていないのにもかかわらず人々が定住していた痕跡が残るとても珍しい遺跡と言えます。
また、この時代の人々は死者の墓を作って埋葬することや、祭場を作ってそこで豊穣を願った催事を行うなど精神文化的にも成熟していっており、それらの痕跡が残されているという点も世界遺産に認定されるうえでの評価につながっています。

北海道・北東北の縄文遺跡群の遺跡が使われていた時代は人々が定住を開始した時代から、定住を成熟されていく時代にかけてであり、この時代を6つの時代に分けると人々がどう定住を成熟させていったかが理解できます。

①定住の開始 紀元前13000年頃
この頃から人々は定住を開始しました。初めはとてもシンプルなテントのような家を建てており、徐々に移動から定住に移行してきました。
また、定住を開始することで重さのある土器の利用が開始されました。
この時代は氷河期であり、現在より気温は5度ほど低かったと考えられています。

②集落の形成 紀元前7000年頃
この頃になると氷河期が終わり、現在よりも気温が3度ほど高い時代がやってきます。
この時代は複数の住居が集まった集落が見られるようになります。集落の中には住居のほか、墓も見られます。墓は人々が故人を弔うなど精神的な活動が成熟してきた証拠でもあります。

③集落の多様化 紀元前5000年頃
この頃にはさらに定住が発展していき、集落の中には住居や墓のほかに貯蔵施設や簡易的な催事場も見られるようになっていきます。

④拠点集落の形成 紀元前3000年頃
この時代になると催事を執り行う場を持つ拠点となる集落も生まれてきます。
三内丸山遺跡はこの時期の遺跡です。

⑤共同の催事場・墓地の出現 紀元前2000年頃
この頃になると集落が分散し、その集落とは別に、複数の集落が共同で利用する共同の祭場・墓地が生まれます。

⑥墓地と祭事場の分離 紀元前1500年頃
そして最終的には共同の祭場と墓地が分離します。
このことはそれぞれの儀式が多様化・充実化した結果と考えられます。

これだけ長い期間農耕以前の人間が定住し、更に催事や葬儀などの精神文化が成熟したことは珍しいことです。
また農耕文化以降の人類は自然を改変させて生活するようになりますが、この時代の人々は長期にわたって自然に適応して自然とともに生活していたということを示す遺跡だということも世界遺産に認定された理由となっています。

まとめ

三内丸山遺跡を含む北海道・北東北の縄文遺跡群は農耕を始める前の人間が定住を始めた様子が見て取れる世界的にも珍しい遺跡として世界遺産に認定されました。
是非、新たに登録された世界遺産を見に行ってみて下さい。

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